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サン=ジェルマン=アン=レーの歴史ある邸宅

サン=ジェルマン=アン=レーは、パリ近郊の中でも歴史的に最も興味深い都市の1つに数えられています。中世時代から受け継がれた古い都の構造を現在にも残しており、曲がりくねった道や行き止まりになった道が作られた時代は、17世紀以前に遡れます。

ルート情報

ループ状ルート2km。難易度:初心者。
所要時間:1時間半

 

行程

出発 – クロード・ドビッシーの生家の中庭
パン通り38番(rue au Pain)

中庭で、サン=ジェルマン=アン=レーに唯一残る、木製の手すり付きの素晴らしい階段を是非ご覧ください。この階段は、17世紀後半に作られました。1階まで階段を上ってください。クロード・ドビッシー博物館に到着します。かの作曲家は1862年8月22日に、ここで生まれました。彼の両親は、地上階の狭いアパルトマンに住んでおり、ファイアンス焼きと磁器のお店を営んでいました。上階には、複数の家族が住んでいました。

 

ステップ 1 – サル通り

1640年以降、この名で呼ばれています。この名前の由来は、市の総督の名前だという説、同じく、住民が集合する部屋(Salle)があったからだという説があります。

– 16番地 :市内で最も古い家です。木の壁は、中世時代後期の特徴と言えます。この家のファサードは、修復されています。

– 18番地:ヴィルロワ元帥邸。ルイ14世の教育係ニコラ・ド・ヌヴィルが所有し、その後は彼の息子で、ルイ15世の教育係であったフランソワが相続しました。

 

ステップ 2 – ヴィエイユ・アブルヴォワール通り

この通りの入り口に、大きな動物専用の水飲み場(Abreuvoir)がありましたが、公共交通手段の駅馬車の先祖である四輪馬車の通行を改善するため、18世紀に取り壊されてしまいます。

– 24番地 :「ド・ラ・フイヤード」と呼ばれる邸宅。フイヤード男爵が所有者でした。ルイ14世を崇拝した人物で、パリのヴィクトワール広場に彼の彫像が建てられています。

– 23番地 :マントノン公爵夫人邸。

ルイ14世の愛妾、続いて2番目の妻。彼女は1680年にこの邸宅を購入しました。錬鉄製の豪華なバルコニーは、1880年に増設されたものです。

– 22番地 :モントシエ邸。ルイ14世第一王子の教育係であったモントシエ男爵が所有した邸宅。1887年から1891年には、未来のリテオ軍曹がこの館に滞在していました。当時の彼はただの将校でした。

 

ステップ 3 – コーシュ通り

4輪馬車(Coche)の出発場所であったため、1700年以来この通りはこの名で呼ばれています。公共交通手段であったこの馬車は、近隣都市、主にパリやヴェルサイユに向けて運行していました。

– 17番地:ギーズ邸。この個人邸宅は、 「バラフレ」と呼ばれたアンリ1世の孫ローレヌ公アンリ2世、ギーズ男爵が所有していた邸宅。サン=ジェルマン=アン=レー出身の有名なオルガニスト、アルベール・アランもこの邸宅で生まれました。

ステップ 4 – ヴィエイユ・ブッシュリー通り

肉市場(Boucherie)が立ったことから、中世時代からこの名で呼ばれています。この通りは、盗難防止のために夜は格子によって閉鎖されていました。

 

ステップ 5 – クール・ラルシェ

パリ通り40番地と42番地に入り口があります。Maison Dieu(貧しい人々のための病院)を建てた、フィリップ・オウギュスト王の弓兵隊長だったルニョール・ラルシェが名前の由来です。この小さな病院は、サン=ジェルマン=アン=レーの貧困層、および巡礼者や旅行者を受け入れていました。

 

ステップ 6 – レコレ小道

幅の狭いこの通り道は、旧レコレ修道院のあった場所に位置しています。レコレ修道会は、フランシスコ会に属しており、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの庇護下にありました

 

ステップ 7 – ヴォルテール通り

1729年、サン=ジェルマン=アン=レーに2カ月間滞在した啓蒙時代の哲学者に敬意を称して、この名前が付けられました。

– 2番地から6番地:

フィウベ邸。ルイ14世の助言役だったガスパール・ド・フィウベがこの館を購入し、美しく改装しました。

19世紀、この館に修復工事が行われましたが、その反対に隣の館(8番地)は、18世紀そのままの状態で残されています。

 

ステップ 8 – サン=ピエール通りと広場

– 19番地:18世紀の軍事戦略家で兵士でもあったフォラール騎士邸。扉の右側には、王冠と王家のゆりかごで飾られた水位表示の印から、この場所が

セーヌ川から65.838メートル高い位置にある事を示しています。サン=ピエール広場には、元々はお城正面にあったコルベールの噴水があります。1989年、この噴水箱の広場に修復、設置されました。

 

ステップ 9 – ガスト通り

1700年以降、ある貴族家系の名前をとり、この名前で呼ばれています。この家系の1人は、アンリ4世時代では公証人であり、その他の1人はルイ14世時代に「ガルド・マント―」つまり森林管理者でした。

– 6番地、ファサードには小さなくぼみ(ニッチ)があり聖クリストフが奉られています。

正面、鉄製の格子からは、パリ通りの10番地と12番地に入り口のあるクレキー邸の庭園を望む事ができます。

 

ステップ 10 – ヴュー・マルシェ通り

1526年、フランソワ1世が創設した時から、この通りには市場が立つようになりました。18世紀後半、ポロ―ニュ通りとポワシー通りの間に位置する、現在のマルシェ・ヌフ広場に移転する事になったのです。

 

ステップ 11 – ルヴィエ通り

「louviers」と言う名前には様々な説が存在します。オオカミ狩りを行う猟師「louvetier」の言葉が変形した、もしくはノルマンディー地方にあるLouviers市出身の紡毛織物商人から来ているとも言われています。

– 15番地:サン=トーマ=ド=ヴィルヌヴ院は、市で最も古い教育施設で現在も開校中です。

– 34番地の上部、へこんだ部分、壁のニッチには聖ピエールが奉られています。

 

ステップ 12 – エキュイエ通り

1618年からこの名前が付けられています。恐らく、Ecuyer(従者)と共にサン=ジェルマン=アン=レーで生活していた数多くの騎士に由来する名前でしょう。学校の正面、サン=ジェルマン=アン=レーの紋章があります。青と金色のバックカラーにゆりかごとユリの花が描かれています。「1638年9月5日」の文字は、この市で生まれたルイ14世の誕生を意味しています。

 

ステップ 13 – レピュブリック通り

– 11番地:上記に名前の挙がった(ステップ12参照)サン=トーマ=ド=ヴィルヌヴ院のチャペルと4本のイオニア式円柱からなるペリスタイルは、1788年に建設されました。
– 24番地と26番地:ロングヴィル公アンリ・ドルレアン邸、大コンデおよびコンティ公の姉であり、17世紀を代表する美女の1人、アンヌ・ジュヌヴィエーヴ・ド・ブルボンと再婚した人物です。館は19世に、全面修復工事が行われました。
– 27番地 : 建設時から、完全な状態で残る18世紀の建物。

小さなバルコニーは、ルイ15世時代に増築されたものです。

 

ステップ 14 – ポントワーズ通り

– 16番地:18世紀に建てられた旧ロシュフーコー邸に、1842年サン=ジェルマン=アン=レーの市役所が設置されました。

 

ステップ 15 – アルザス通り

– 11番地:ノアイユ邸。フランス革命まで市の総督であった3人のノアイユ男爵が住んでいたこの豪華な館は、ジュール・アルドゥアン=マンサールによって建てられました。1778年には、モーツァルトが滞在しています。

 

ステップ 16 – ロジェ・ド・ネゾ通り

プロイセン王国による占領時代(1870年~71年)に、サン=ジェルマン=アン=レーの市議会議員だったロジェ・ド・ネゾの名前が由来です。
– 9番地 : ボンタン邸、ルイ14世の最初の召使いで、信頼の厚かった人物です。

 

ステップ 17 – シャルル・ド・ゴール広場

皆様の正面:
• 現在では国立考古学博物館が併設されたシャトー=ヴュー。
• 国有地の庭園。
• サン=ジェルマン教会と6本のイオニア式円柱からなるペリスタイル。見学の続きをお楽しみください!

 

ルート内での見どころ